あなたは感じない何かを、他の人は感じる場合があるということ。あなたにとっての当たり前は、その人にとっては当たり前ではないということ。
当たり前とは、魂レベルの学びにおけるその人の立つ現在地のことです。色々な出来事に揉まれながら生きると、些細な事に気にならなくなることがありますが、この原理と一緒です。
すなわち自分がどれだけ自分の感情をコントロールできているか、どれだけ自己とエゴの分別が出来ているかという部分がまだ未熟な人にとっては、どうでも良いことでも重大事に感じてしまう訳です。
その人はあなたを攻めてくるかもしれません。あなたのせいにしてくるかもしれません。でもそれはその人のスピリチュアルジャーニーの道のりで現れている、その人の感情。
人が無意識に陥ってしまっている事に気づいたら、それを認め、受け入れてあげる必要があります。その人が、その苦しみは「自身の無意識、またはエゴの仕業である」と気づくまでは、そっと見守るしか無いのです。その無意識な状態にあるその張本人を、お前の無意識だ!と責めることはご法度であり、無意味なのです。
人はそれぞれ学びの段階が違うということを受け入れなければなりません。