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人生とは何か?
人生は「人として生きる」と書きます。人として生きる、これはどういう意味でしょうか。私たち人間はいろいろな欲望を持って生きています。お金持ちになりたいとか、もっと楽な生活がしたいとか。何でも良いのですが、これは「人が求めるもの」であって、「人としてどう生きる」とは少し話が異なります。
お金持ちになっても、ホームレスより楽な生活ができていても、人を見下したり、自己中心的で思いやりがない、人としての魅力がなければどうでしょうか。
何を達成しても、何を得ても、人として最低な生き方をしていてはどうでしょうか。
モノからしか人生の価値を感じられないなんて、浅はかな生き方だとは思いませんか?
どう人として生きるのか
つまりは何かを達成したり、何かを得たりすることが人生ではなく「どう人として生きるのか」が人生です。「どう人として生きるのか」が最大の課題であると同時に、何をどうしても人生は「人としてどう生きるか」なので、内容は実はあまり関係ないということになります。関係ないとは、どうでもいいという意味ではありません。人それぞれ違う内容なので、気にしたところで何も変わりませんし、内容は決まっているようで決まっていませんから。
地球へようこそ
さてこれから人生の取説を詳しく解説していきますが、その前にひとまずあなたに伝えたいことは、地球へようこそ、ということ。
地球という星は美しいところです。しかしその美しさの反対に、醜いことも存在しています。ただ、一つ心の隅に置いておいて欲しいことが一つあります。それは、世界はありのままで完璧だということ。
私たち人間の状態次第で、この美しいものも無意味に感じてしまったり、何も見えなくなってしまうことがあるということです。
Reality within, so without. 内面が全て外の世界として見える。これが人間体験の基礎です。
誰にでも共通する人生における事実
これから人生の生き方について詳しく解説していくとしますが、その前に人生における事実、つまりは誰もが否定することの出来ない絶対的な真実をさらっておきましょう。
誰にでも共通する人生における事実です。これらを知ることで、この人生は別に個人的なものではなく、私たちは宇宙にある沢山の創造物の中のただのひとつであることが理解できます。
- 人として生まれたくて生まれてきた訳ではない。あなたが生まれてきたのは、あなたの選択ではなかった。
- 生まれた場所、生まれた時期を選ぶことも出来なかった。
- この体験は生まれる前は存在していなかった。
- 私たち人間はそれぞれ異なる遺伝子を持っている、つまりは同じ人間ではあるが、所々で性能が異なる体を持っている。
- 性能が異なる体を持っているイコール、私たち人間はそれぞれ異なる技術や才能があり、メリットデメリットも存在している。
- さらにこの体の性能を事前に(生まれる前に)選ぶことも出来なかった。
これらの事実から言えることは「私たち人間は、生まれた場所、時期、体がそれぞれに異なり、私たち人間が過ごす人生は、どれ一つ同じものはなく、それぞれ唯一無二の体験であるということ」が言えます。
人間全員共通する事実が一つだけある: ”人生は体験である”ということ
breakthrough
人生とは、体で感じられる体験のことである
人生を歩む上で、この「人生は体験である」という事を心得ることがなぜ必要なのか。理由は、あなたの体験だけが唯一の真実となるからです。真実とは、あなたの人生そのもののことであり、あなたの体験こそが人生ということです。
さらにこの人生は、良くも悪くも、ただの体験であると知ることが重要になってくるのです。
あなたの人生は、あなたの体でもなく、あなたが達成したことでもなく、あなたが誰かにしてしまったこと、あなたが誰かにされたことなどの物語でもなく、今日を生きるという体験であるということ。
頭で考えられるものはすべて、体験を思考に変えただけで体験ではないのです。考えるという体験ではありますが。
体験とは?
では体験とは何を指すのか。この人間という体で感じられるものが体験です。五感のことです。食べたら美味しい、音を聞く、ものを見る、匂いをかぐ、そしてものに触るなど。
さらに人間には創造したいという欲求と、感情というものがあるため、人間が体験できるものはこの五感だけに留まりません。この人間という体で感じられる全ての事を「体験」と呼び、この体験こそが人生なのです。
人生において唯一の真実が、この人間という体で感じられる体験であることがお分かりになるかと思います。
人間という体は宇宙からの借り物
つまりは、私たちはこの人間という体ではなく、その体を操る操縦士であるということが言えます。私たち人間は容姿は人間ですが、この人間という精密な生命体を宇宙からお借りし、操作しているという訳です。
さらに人間という生命体には寿命というレンタル期間が存在しているため、いつしかは宇宙にお返しし、私達もいつかこの生命体にさよならをする時が訪れる、ということも覚えておきましょう。
私たちはこの体ではないのか?
ということは、私たちはこの体ではないのでしょうか?お腹は空くし、転んだら痛いし、どう考えても私イコールこの体のように思えるわけです。しかし視点を変えてみれば、お腹が空いたり、転んだら痛いのは、人間という体が持つ機能に過ぎないのです。
ではなぜお腹が空いて、ご飯を食べたいと感じるのでしょうか。それは人間には、極力長生きしたいと思う、という機能が備わっているからです。ただ単にお腹が空くのではありません。この体を維持して、もっと長生きして、できるだけこの体験を続けたいと思うことが、人間に備わっている機能なのです。
欲求は人間の持つ機能のひとつ
そして私たち人間は、食べる以外にも、生きていく中で沢山の欲求を持つようになります。ただ食べるだけじゃなくて、もっと美味しいものが食べたい!お金持ちになりたい!素敵なパートナーと結ばれたい。行ったことのない場所に行ってみたい。家族を守りたい等など。
これらの欲求を持つことは一切悪いことではありません。なぜならばこれらも人間に備わっている機能だからです。
全ての欲求は「もっと体験するため」
もっと体験したいからお金持ちになりたい。
ご飯を食べてこの体を維持したいのは、もっとこの体験を続けたいから。
共同創造を体験したいから人と繋がりたい。
行ったことのない場所に行きたいのは、したことのない体験をしたいから。
物が欲しいのは、それを体験してみたいから。
以上から分かることは、人間の全ての欲求はこの人間体験を増やすこと、もっと体験するためであるということが言えます。この体験を続けたいという欲求そのものが、私たち人間を生かしてくれていると言っても過言ではありません。
この「もっと体験したい」という欲求が、何らかの理由で完全に遮断されてしまうと、私の父のように自ら命を断つこととなってしまうのです。
ですので、もしあなたがこの記事または動画見ているということは、あなたにはまだこの人間体験を続け、もっと体験してみたいという意志があるようです。一度きりで尊い、あなただけの体験を続ける意志が。
人生に意味はあるのか?目的は一体なんなのか?
人生の取説では、その名の通り、人生の生き方を掘り下げていくものになりますが、その説明を読む前に
人生の意味とは何かをハッキリさせたいとは思いませんか?人生に意味はあるのか。生きる目的は何か。
この質問は、人生において試練が重なれば重なるほど問いただしたくなる質問です。(つまりは、楽しい日々には人生の意味なんて考えないということ)
ではその質問に果たして答えはあるのか?
人生の意味は自分で決められる
私が辿り着いた答えは、人生の意味は自分で決めて良いというものです。この人生なんて無意味だと思えば、あなたにとって人生は無意味で虚しいものになりますし、逆に人生は素晴らしい体験であると思うことができれば、あなたにとって人生は有意義で美しいものになります。
人生の取説の由来
私たち人間は、人に生まれたのは良いものの、この人生の生き方を教わることはありませんでした。人生の生き方は千差万別かもしれませんが、人生は体験であるという絶対的事実が人類全員に共通しているのであれば、この人間体験を最大限にすることこそが、人類全員に共通する生きる目的であり、求めるべきものだと思うのです。
人生の取説と自ら名付けるのは傲慢であると思いながらも、この人生の取説を通じて、この取説に触れることとなるすべての人が、この人間体験を最大限にエンジョイしていただけることを願い、人生の取説と命名いたしました。
命ある限り生き尽くす。その方法を人生の取説を通じて解説していきます。