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私たちが動けない理由
私たち人間はやってみたい事が沢山あります。人間として生きている以上、常に体を感じて体験、そして創造力を通じて創作をしたいと思うのはごく普通なことです。
しかし色々な事を理由に自分を制限し、行動に移せるのに移していない人が多くいます。これは一体何故か。どんな原理が働き、私たちを止めているのか。
私たちが動けない理由は「評価」です。評価と聞くと、他人からの評価と思いがちですが、評価は他人からに留まらず、自らを判断する評価も含まれています。
自己評価と他人からの評価の仕組みを理解すれば、この評価という概念は何の役にも立たないただの幻想であることが分かることを理解し、批評に左右されずに行動できるようになるでしょう。しかしその幻想が見えてしまう仕組みを理解しなければ、自分を制限している評価を越えることはできません。
評価という概念を越えると、自由な体験、そして自由な創造が出来るようになります。本記事ではあなたがより自由に生きて、自由に表現できるよう、あなたの行動力を封じ込めている本当の原因について解説していきたいと思います。
行動力が封じ込められる原因1: 他人からの評価
まずは評価の基本である「他人からの評価」について解説していきます。他人からの評価を恐れる時、実際は何に恐れているのか、またはどんな言い訳を作り上げ、その恐れから背いているのか。根本的な原因について探っていきます。
他人からの評価と、後述の自分からの評価で共通となる重要なポイントは、批判と好評も含まれているという事。批判への恐れと好評への欲望は表裏一体。恐れと欲望の原理です。批判を恐れると同時に、好評を欲する。これは重要なポイントなので覚えておきましょう。
他人からの批判
人からの評価を恐れる原理は、自分で自分の価値を決めることが出来ていない場合や、価値が定まっていない時に、他人からの評価に自分の価値を頼ってしまう事にあります。
評価に左右されるという事は、自分の取り組みに自分が納得できていない証。つまり他人にどう見られるか、どう思われるかが動機になっており、自分主体の動機がない状態を指します。
例えば、下記のような思いがあるとします。いわゆる承認欲求と呼ばれているものです。
- 人から凄いと思われたい
- 認められたい
- 一目置かれたい
何事に取り組むとしても、自分第一ではなく、人からどう思われる第一になっている状態と言えます。人にどう思われる第一だと、承認欲求の反対の側面である恐れも同時につきまといます。
- 見下されたくない
- 見捨てられたくない
- バカにされたくない(日本人特有のみっともない精神)
- 変に思われたくない
- 偏見の目で見られたくない(もしかするとこんな風に思われるかもしれないなど、実は自分が持つ自分への思考または自分が他人へ持つ思考)
これらも自分第一ではなく、他人ありきの思考である事が分かると思います。
承認欲求の3つはポジティブな要素で、基本的には誰でも持っている感覚ですのでそこまでの問題はありません。しかし問題になってくるのは、承認欲求の反対の側面である批判への恐れの部分です。
批判への恐れの正体
5つの批判への恐れを挙げました。
- 見下されたくない
- 見捨てられたくない
- バカにされたくない(日本人特有のみっともない精神)
- 変に思われたくない
- 偏見の目で見られたくない(もしかするとこんな風に思われるかもしれないなど、実は自分が持つ自分への思考または自分が他人へ持つ思考)
これらは一見、人にされたくない事、要するに自分が避けたいような事柄であるかのように聞こえます。ですがここで重大なからくりがあります。この自分がされたくないことですが、実は自分が他人にしてしまっていること、と言ったら驚かれるでしょうか。驚いてください。そうなのです。
恐れるもの、それは自分がすでに持っているものにしか恐れられないのです。
これらに恐れを感じるのであれば、あなたは恐れの内容を無意識に他人にしてしまっているのです。
- 見下す
- 見捨てる
- バカにする
- 変に思う
- 偏見の目で見る
自分の思考や感情をよく観察してみてください。するもされるも表裏一体。いずれかの感情が浮上した場合は、自分の中に他人への批判の種を持っているサインです。中性(ニュートラル)に生きる事が大切です。批判をしている暇はありません。自分が自分を第一に考える、自分主体の意識に変えていきましょう。
他人からの評価を越えるために
他人第一意識の仕組みが分かったら、ここで一旦ストップ。大きく深呼吸をして、自問してみましょう。
他人からの評価は本当に意味のあるものなのか。 他人からの評価は、喜び、価値、そして納得を自分に本当にもたらしているのか。 自分はその取り組みに励むのは他人からの評価のためのか。
他人からの評価は他人が決めるものであり、さらに大抵の場合は一瞬で過ぎ去るのが大衆の評価です。それが良いことであろうと悪いことであろうとです。
自分の価値は自分で決める。そうすれば何を追い求めることなく、何に恐れることなく、一生懸命に自分のプロジェクトに取り組むことが出来ます。是非一度自分で答え合わせをしていただきたいと思います。
行動力が封じ込められる原因2: 自分からの評価
他人から評価の仕組みの次は、知らぬ間に自分を制限している自分から自分への評価です。自分を動けなくするような理由をどんどん作り、自分の行動の停止を正当化する。他人からの評価に制限されるよりタチが悪いのが、この自己評価です。勝手な思い込みと決めつけで、あらゆる挑戦を遠ざけるようになってしまいます。
ここからあなたの行動力を封じ込めている本当の原因について探っていきます。自分を制限させてしまう自己評価には2種類あります。幻想型と比較型です。
幻想型
まだ体験したこともない事を頭の中で再現し、勝手なストーリーを作り上げ、それを信じ込むのが幻想型です。そして大抵の場合、作り上げられるストーリーはネガティブな事が多く、行動を制限させてしまうストーリーが多いのが特徴。モチベーションを上げるストーリーはほぼ一切作られないと言ってもいいでしょう。
- やっても無駄
- どうせ無理
- まだ無理
比較型
優越感と劣等感の2つが表裏一体として存在しており、自分が優越と劣等の2つに割れ、比較の意識に留まってしまうことにより行動が制限されるのが比較型です。
- 自分は優れている/自分は劣っている
- 自分には能力がある/自分には能力がない
- 自分は恵まれている/自分は恵まれていない
幻想型: 挑戦を破棄する仕組みを理解する
やっても無駄/どうせ無理/まだ無理 挑戦する前から諦めている時の思考です。挑戦してみたいことがあっても、やる前から諦めてしまうのは何故なのでしょうか。よく考えてみるとおかしな話です。
原因はシンプル。自分を失いたくない。大切な自分の懐を守りたいのです。自分を失うとはどういう事か。まず挑戦を放棄するということを別の言葉で表してみると「現状維持」です。挑戦をしないわけですから、今の状況が続くだけです。
でもここでまた矛盾が出てきます。やってみたい故の挑戦なのに、やりたくない自分も居る。
原因は失敗という幻想です。
失敗すれば大切な自分にダメージ。自分に損傷。自分の喪失ということになります。
自分の喪失に繋がる失敗のダメージとはずばり
自分の行動が報われなかった時のダメージ
です。
自分が覚悟を決め、気合を入れて挑戦するわけです。この取り組みが失敗するとなればこの取り組みが水の泡。自分の取り組みが報われないと言う結果になるのが、自分にとって一番の大ダメージであり、一番に避けたいシナリオになるわけです。
幻想型の自己評価を越える方法
ではこの幻想型の自己評価を越えるためにはどうすれば良いか。
ただ一生懸命に取り組むだけです。何もないところから挑戦するわけです。失うものなんて何もないではありませんか。やりたいならやれ。やりたくないならやるな。やってみたきゃやるだけ。
人生は人として生きると書きます。人にはやりたいこと、してみたいことが沢山あります。それをやることが人生です。実行して初めて見えてくる景色を皆さまにも是非見ていただきたいと思います。
比較型: 行動を制限させる優越感と劣等感の仕組みを理解する
自分は凄い↔自分には何の取り柄もない
誰かより優れていないといけない。誰かより劣ってはならない。これらは優越感と劣等感が生み出す偽装されたモチベーションです。長続きもしなければ、この動機でなされた行動には負のエネルギーが付きまとい、どこか力に欠ける作品となる傾向があります。
宇宙という全体性から創造されたものではなく、自己という断片的な場所から生まれたものは、クオリティというよりも、心に響く「何か」に欠けてしまうのです。
優越感と劣等感を感じる原因
優劣の差を感じることは、他人との比較に起因すると思われがちですが、優越感と劣等感はすべて自分の中で行っています。優越感だろうと劣等感であろうと、他人と比較しようと自分で思うだけだろうと、優劣は自分でしか感じることが出来ないのです。
では優越感と劣等感を感じてしまう原因は何か。答えはずばり、自分と結果が同一化してしまっている事が原因です。「あなた」が残した「結果」は、誰かより優れていた。誰かより劣っていた。それと同一化しているから、勝ち負けがある。勝って嬉しい。負けて悔しい。優越感と劣等感は、勝ち負けです。
実際、優れるや劣るなどの概念は、この物理世界では避けることが出来ません。あなたはウサイン・ボルト(陸上100m世界記録保持者)より絶対に足が遅いし、ウサイン・ボルトより絶対に日本語が上手です。
しかしこれは概念に過ぎず、優劣(勝ち負け)を決めているのは自分。その結果と自分が同一化しているために、優越感や劣等感を感じるわけです。
自分が足の速さを追い求めていなければ、事実負けていても特に劣等感は感じませんし、日本語が上手な件も事実勝っていても優越感は感じないのです。
比較型の優越感と劣等感を越える方法
ではここで言う「同一化」という言葉はどういう意味か。同一化とは、あなたではない何か、要するに結果が、あなたの一部となってしまい、結果の内容で自分が大きくまたは小さくを感じてしまうという状態。つまり結果で左右される意識状態という事を「同一化」と言っています。
優越感と劣等感は、優劣という事実が問題ではなく、それと同一化してしまっている意識の問題。
優越感と劣等感を越えるためには、自分が何を同一化しているかをまずは見極めること。何かが分かったら、少しずつ自分と結果を切り離していき、一生懸命に自分に取り組むという、結果ありきではなく、自分主体の取り組みに変えていくことです。
あなたの行動力をアップさせるための心得まとめ
- ただ一生懸命に取り組む
- 失うものは何もないと知る
- 評価や比較よりも自分の納得を第一優先とする
- 結果が自分と同一化しないように気をつける
さいごに
インターネットが普及した今、今までは映像でも見ることの出来なかったような、地球の反対側の人までを見れる時代になってしまいました。それは素晴らしいことで、凄い時代に生きているわけですが、それよりも何よりも怖いのが、インターネットで「生きること」が奪われていってしまっていることです。
人生の一部のインターネットではなく、インターネットが人生になってしまっている。せっかくの人間体験、体を使って感じるべきものが、コンピュータスクリーンに張り付き、行動が制限されてしまっている。さらにそこに映る様々な人を見て比較し、批評に恐れ、劣等感を感じ、行動力が奪われていく。
インターネットは便利なものですが、インターネットがなかったら、もっとみんなは活力に溢れていたのではないかと思ったりもします。しかしこれは「たられば」のお話。インターネットと共存していくため、そしてインターネットで私たちの人生をより豊かに、そして行動力に溢れたものにするため、本日も一生懸命に生きたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。