職場でも学校でもどこでもいいです、家庭内でもいいです、誰かの行動が気になる時ってありませんか。
嫌な行動、やめてもらいたい行動とか、変えてもらいたいこと、やけにうざく感じること等、人の行動が気になって気になって仕方がない時ってありませんか。
そう思うことが一般常識からの判断なのか、あなたの個人的な価値観からなのかはさておき、なぜあなたはその人のその行動が気になるのでしょうか。
大衆的に見ても、その気づいた行動はおかしい行動かもしれません。
百歩譲ってもその人のその行動は異常な事かもしれません。
しかしそれに気づく人と気づかない人がいるということは、それに気づいたあなたは、その行動がもたらす感情に共鳴する何かを持ち合わせていたということになります。
例えば、著者の経験からすると、初対面なのにも関わらず、私はその初対面の人と話したこともなく、一言も声をかけていないのにも関わらず、後々聞いてみたら、その人は自分(著者)のことをうざい、むかつく、気に食わないと感じ、話しかけることができなかった、という言われたことがあったのです。
よくよく話を聞いてみたら、その人は私を見てすぐに、このような感情が湧き出たといいます。
「自由に振る舞っているのがムカつく」
しかしこの思考、共鳴は、その場にいたその人にしか起こらなかったです。
つまりこの共鳴は、自分が自分に与えている制限を、他人(今回の場合は私)を通じて知ることとなった、という現象になるのです。
他人に思うことは自分に思うこと。
いえ、思うことは自由ですが、他人を通じて感じる感情は、あなたの真実なのです。
だからこそ、人は全員神様であると言われるのです。
あなたの真実を見せてくれるからです。